【オーストリア】圧倒される欧州⑤
前回からのつづき・・・
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カシュガルで知り合った日本人Aさんとタシケント以来、数時間だけの再会を兼ねて、オーストリアのウィーンまでやってきました
基本情報
国:オーストリア
ルート:⑴ウィーン▶︎⑵インスブルック▶︎⑶シュトゥーバイタール▶︎⑷再・インスブルック
期間:2週間
時期:7月, 8月
オーストリアはヨーロッパに位置する連邦共和制国家。首都はウィーン。中欧に650年間ハプスブルク家の帝国として君臨し、第一次世界大戦まではイギリス、ドイツ、フランス、ロシアと並ぶ欧州五大国の一角を占めていた。
ウィーン
ウィーンはオーストリアの首都。クラシック音楽が盛んで、過去にモーツァルトやベートーヴェン、シューベルトなど、多くの作曲家が活躍したことから「音楽の都」とも呼ばれる。
ウィーン
チェコより物価の上がったオーストリアに少々ビビりつつ、宿に到着
そういえば数年前のイタリアでの失敗を糧に、ヨーロッパでは事前にきちんと宿を予約するようになったので、もう大丈夫です
ウィーンってイメージ的には相当すごいんじゃないかと思ってた
なんか華やかで豪華でものすごい街並みなんじゃないかと
市街を散策してみるとここでもものすごい人の数、さすが観光地、さらに夏休み期間中も重なっている
時間の都合から王宮の中に入れなかったのは残念ですが、国立歌劇場やホーフブルグ宮殿など街並み全体はやっぱり重みがあって美しい
特にシュテファン大聖堂はウィーンのシンボルと言われるだけあって厳かな雰囲気がありました
と言っても人で溢れるような感じはなくて地元の人が静かに訪れているような素朴さも感じられたし建造物の中ではいちばん印象に残った場所です
次に向かったのはホテル・ザッハー
チョコレートケーキの一種であるザッハトルテを目当てに行きました
もちろん泊まるわけはなくカフェスペースでザッハトルテを食べてみたかっただけ
列がつくほどの名物なのか20分ほど並んで入店できたのでさっそく注文しました
このホテルまたは地域?で提供されるもの以外ザッハトルテと呼べないらしくどれほど美味しいものかと期待していたけれど、一人前を食べきるのにやっとなレベルで私にはビターすぎた・・・まぁウィーンらしさを体験できたのでよかったです
さて、オーストリアでは自然を楽しめる田舎へ行きたかったのでヴァッハウ渓谷やハルシュタットなどに行こうと考えてみましたが結局選んだのはチロル州、アルプス山脈で緑を感じたいと山まで行くことにしました
インスブルックはオーストリアの都市でチロル州の州都である。風光明媚な観光地として、またウィンタースポーツの地として世界的に知られており、1964年と1976年にはオリンピックを開催したことでも知られる。
目的地まで行くためにウィーンからチロル州最大の街に電車で出発
82ユーロとなんとも贅沢な移動ですが、さすがのセカンドクラスでも綺麗で広々としたシートであっという間にインスブルックに着きました
途中、ザルツブルクというウィーンの次にメジャーな駅に着いたとき、隣にいた地元の女の子が「降りなくていいの?」と寝ている私をわざわざ起こしてまで声を掛けてくれた、優しいな〜
インスブルック中央駅に到着してけっこう山のほうまで進んできたので、田舎かなと思っていたらそうでもなかった
駅構内から出ると意外にもホームレスみたいな人が多くて駅周辺は少し小汚い印象です
目が合って第一声、若い男に「たばこくれない?」と言われたのでないと答えましたが、アルプスの美しいイメージがあっけなく砕けていくようでした
そのまま駅から歩いて50分ほどかけて予約してあるユースホステルまで歩いて行きます
さすがに少し遠いな、と思いながらも無事に到着
ユースのドミは初日私一人だったので、大きな部屋ががらんとした感じでした
アルプスのチロル州に来たといってもエリアは決して小さくないようで情報が少なかったけれど、バスで安くさらに山のほうまで行けるみたい
翌日の朝、目的地のシュトゥーバイタールに行くためにバス停に向かうけど、どこに行ってもたどり着かない
道ゆく人に聞いてみるけど「ここじゃない」とか「たぶんあっちだと思う」とかを繰り返すこと3時間・・・ものすごい単純な場所にありました
なかなか先進国のほうが移動が大変に思えるのはまだヨーロッパに慣れていないからかな、道を教えてくれたおじいさんに感謝
シュトゥーバイタール
シュトゥーバイタールはオーストリア、チロル州にある谷。州都インスブルックの南西に位置し、夏でもスキーを楽しめる氷河スキー場があることで知られる。
シュトゥーバイタール
くねくねした山道をのぼってようやく予約している宿の近くまでバスは停まった
どうやらここで終点らしく、またバスを乗り換えて行かないと宿のすぐそばまでは行けないみたい
観光案内所の女性が言うにはバスに乗らなくても歩いて10分で着くという
そんなに遠くはない距離なのに迷う、迷う
そして16時頃にやっと到着、朝の時点で3時間バス停探しに時間を取られていたから疲労は倍増しています
宿泊先のペンションは個室、Wi-Fiスムーズでしばらくはのんびりできそうだ
周辺を歩いてみると何にもない素朴な町かと思いきや意外にも周りにはロッジ、ペンション、アパートメントが建ち並んでいた
それでも自然の中に囲まれてることは間違いないんだけどね
山の中でもさすがヨーロッパ、ハイキングコースやジョギング、トレッキングコースにはそれぞれに標識や案内があって迷わないようになっている
私が今まで行った国の山ではほとんど標識も看板もない、勘で見つけてね、と言わんばかりの自然だったからこれはこれでカルチャーショックでした
でも当然、ごみひとつ落ちてない綺麗な緑の中を歩いていたからすごくいい気分
毎日、その日の気分で行きたい場所まで歩いていた
森林浴にも癒されるし天気がよくて夏の山はやっぱり過ごしやすい
私が1番好きなのは朝、泊まってるペンションのベンチに座ってぼーっとしている時間が最高だったな、いちばん空気が澄んでて清々しいと思える時間帯でした
おまけにシャワーを浴びるときにも贅沢な体験をしたんですが、このシュトゥーバイタールから出てるのはアルプスから流れる水だからシャワーの水すら飲料用になっているそう
なんてクリーンな土地なんだ
ここがアルプス山脈か〜なんて思いながら絵本のような世界を10日間楽しみました
再・インスブルック
十分すぎるほどのエネルギー補給をシュトゥーバイタールでしました
これが私らしい旅だな、やっぱり緑に囲まれてのんびり過ごすのが好きだと思えた
再びちょっと都会なインスブルックに戻って、以前ガラガラだったユースが満室になったほど中国の大学生の団体40人くらいとトルコ人ドライバー2人が参戦し、ユースの中がカオスになっていました
でも私は好きな場所で思いきり過ごせたからもういいや、にぎやかでもいいじゃないと思って適当に過ごしています
次はいよいよドイツに入国、もうこれはがっつりヨーロッパの中でも存在感大な国に行くわけだから、やっぱり少し緊張する・・・
【チェコ】圧倒される欧州④
前回からのつづき・・・
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ハンガリーにしばらく滞在したおかげで免疫がついてきたかもしれません
少しずつ気持ちが軽くなっていくのがわかるし、中欧を周る楽しみも少しずつ湧いてきました
ハンガリー・ブダペスト▶︎チェコ・プラハまで行くバスを予約したので、朝地下鉄に乗ってバス停まで行こうとしたのに、早朝すぎてメトロの入り口のシャッターすら空いてなかった
慌ててタクシーをつかまえたあと、無事バスに乗り込みました
基本情報
国:チェコ
ルート:⑴プラハ
期間:3日間
時期:7月
チェコは中央ヨーロッパの共和制国家。首都はプラハである。国土は東西に細長い六角形に近い形をしており、北はポーランド、東はスロバキア、南はオーストリア、西はドイツと国境を接する。
プラハはチェコ共和国の首都であり、同国最大の都市。人口は約120万人。市内中心部をモルダヴ川が流れている。古い町並み、建物が多く現存しており、毎年海外から多くの観光客が訪れる。
さほど期待していなかったプラハだったけど、市街に着いてあっ好きかもと感じた
最初の印象ってあとにつながったりするので、この気持ちは間違いじゃなくあってほしい
ヨーロッパに来て、初めて行ったイタリア以来の感動と衝撃と興奮
いやぁ驚いた!参りました、素晴らしい街並みだからもう一日中歩きました
夏休み期間中ということもあって人が多すぎるので、少ない時間帯の朝6時や7時台が涼しくて行動しやすかったです
早起きも苦にならないくらい夢中で歩いた
歴史のオーラ、古いものを美しいとし大切に守る街並み、デザインの細部まで一切手を抜いていなくてもう圧巻、素直にすごいと思えた
建造物ってこんな力強いオーラが出せるものなのかと驚き、こういう感覚を知れただけでもヨーロッパに来た意味は十分ある・・・
ちなみにここプラハで泊まった宿は学校です
高校だか大学だか忘れたけれど長い夏休み期間中を利用して、その期間だけバジェットホステルとして旅行者に開放しているのだとか
私が割り当てられた部屋は体育館だったのだけど、そこはただマットレスを敷き詰めただけの避難所のような光景です
まさかバスケットゴールの真下で眠るとはね
この宿で知り合った人とは「部屋はどこに泊まってる?私、体育館」「俺?理科室なんだけど遊びに来たら」といったふつうのホステルじゃ聞かれないような会話が生まれていたなぁ
しかもチェックインする際の受付は絶対、職員室だ、いかにもそんな感じだ
と、思いがけないサプライズをくれたチェコ、そしてまさかプラハがこんなに実力の高い街だとは思いもしなかったです
ポーランドに着いてすぐはなんでヨーロッパなんか来ちゃったんだろうとなっていたけど、今は全然後悔してない
ひとこと、プラハは素晴らしい街だ!
【ハンガリー】圧倒される欧州③
前回からのつづき・・・
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ホッローケー村での癒されたトリップは終わって、宿泊先のブダペストまで戻ります
帰りのバスは1時間遅れてやっと来て、列車の駅まで行ってくれると思っていたのに、来た時と違うバス停で降ろされました
運転手さんが「ブダペストに行くバスはあっちだよ」と指を差した場所でしばらく待っているとバスが来てまた乗り込む、そうしてまたよく分からないブダペストの街のはずれに到着したためGoogleマップを使いまくっていると、途中でスマホの充電が切れてしまった
完全に迷子、かつ宿まで戻る相棒をここで失いました
風邪気味なのがじわじわエスカレートしていよいよ頭はフラフラ、外も暗いし余計に方角が分からなくなったので、タバコ屋に行ってiPhoneの充電をしばらくさせてもらいました
その店員さん、めっちゃパンクな男性だったけど命を救ってくれました、ありがとう
センテンドレ
センテンドレはハンガリー、ぺシュト県にあるドナウ川沿いでかつブダペストに近い都市。多くの博物館や画廊、芸術家で知られている。その美しい景観と利便な鉄道、船舶でのアクセスによってブダペストから立ち寄る訪問先としても著名である。
センテンドレ
ブダペストでまた数日間滞在したあと、アーティストの町と言われるセンテンドレに日帰りで行ってきました
ドナウ川を船で渡って1時間ほどで到着、大きな船だったから安定感があって、ギリメノ島での溺れかけの小舟とはわけが違います
船酔いもほとんどないまま、ロマンがある可愛らしい町センテンドレに着きました
周辺を歩いてみて思ったのは町並み自体の可愛さよりも可愛いお店が多く並んでいること
逆を言えばこの町、土産物屋ばっかりが並んでるんだねと言えるかもしれない
でもまぁ、可愛らしいということでそこはスルーします
あとハンガリーの郷土料理を食べに行った時はふつうに美味しかったのですが、日本で食べる洋食レストランとほとんど変わりがなかった
どのあたりがハンガリーらしさなのか教えてほしいわ、と思ったけれど日本のカツレツなんかが元々真似したからやっぱり原型はこっちなのか、とかまぁよく分かりません
思ったより滞在の時間はあっという間に過ぎていったし、それなりに見どころがあったということなんだろう
再・ブダペスト
なんだか休憩したくてヨーロッパをこのまま歩いても楽しめるか疑問でアイスランド?グリーンランド?大自然まで飛んでしまおうか、とかいまだに考えたりもしたけどそれでもしっくり来ず、結局引き続き中欧を旅することに決めました
おもしろいものはやっぱり自分で探さないとね、と言い聞かせながら
人混みや車の多さに疲れつつも、やんなきゃな〜とかヨーロッパがこんなに試練のような気分になるとは思ってもみなかったし、もっと気楽に楽しめるものだと思っていたのに
自分が良さを理解してヨーロッパに慣れないといけないんだよな、とも思いつつ・・・
そんな中ブダペストではじっくり過ごせる時間を設けたおかげで、少しずつ見える景色が変わっていったように思います
中央市場に行っては名物であるフォアグラが格安で手に入ったことから滞在中は何度も購入、日本では高級食材でも現地では1キロ2000円くらいで買えたのはいい買い物です
シェア飯で手作りのバルサミコソースを作りフォアグラを調理する、そんな些細な時間が楽しかったりしました
そしてドナウ川には朝・昼・晩と時間帯を変えては何度も訪れました
日の出から眺める国会議事堂のシルエットは美しかったし、夜景は今まで見たことないほどロマンティック、旧市街全体が輝いて見えたし歴史地区にどっぷり浸るのはなかなか幸せな時間でした
【ハンガリー】圧倒される欧州②
前回からのつづき・・・
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ヨーロッパでの旅が始まった途端さっそく気の迷いが出てきている私です
まだこの先も続くのにこんなのでやっていけるのか、不安を残したままハンガリーへと向かいました
基本情報
国:ハンガリー
ルート:⑴ブダペスト▶︎⑵ホッロークー▶︎⑶センテンドレ▶︎⑷再・ブダペスト
期間:2週間
時期:7月
ハンガリーは中央ヨーロッパのドナウ川中流域に位置する共和制国家。首都はブダペストである。ハンガリーでは温泉が湧き出し、温泉文化が古くから伝わり、その文化は2000年近くある。
ブダペストはハンガリーの首都で同国最大の都市。ドナウ川河畔に位置し、ハンガリーの政治、文化、商業、産業、交通の一大中心都市で東欧・中欧では最も大きな都市のひとつ。街並みの美しさから「ドナウ川の真珠」と呼ばれる。
ブダペストの列車の駅に着いてから1時間も迷ってやっとアンダンテホステルに到着
この列車の移動中には今いる場所で楽しみや魅力を見つけること、土地を変えることもひとつの手だけど、大事なことは自分から探して見つけることだよなぁ、なんだかヨーロッパの旅が試練のように感じてしまうけど、なるべく楽しめる方向で行こう!と言い聞かせた
アンダンテホステルに着いてからは日本人宿ということもあって最初は少し緊張するものの、日本のDVDやガイドブック、和風の調味料なんかが揃っているあたりはやっぱりホッとできます
アウシュビッツの復習をするため映画シンドラーのリストを観たりして過ごしました
ブダペストに来てホステルで過ごして少しでもピリついた気持ちが改善するといいなと思いながら旧市街の街を歩きました
期待なんてさほどせずにたくさん歩いたブダペストの街は、けっこう好きかもと思えた
近所のスーパーに行くことですら歴史的な街並みに囲まれていると思えたし、ドナウ川を通して眺める旧市街の景色、国会議事堂を含む建造物の壮観さを見ていたらロマンを感じた
そうして過ごしていくうちに不思議とこの街にいる自分が自然に思えたし、違和感も徐々になくなっていってることにも気づいたのです
正確にはヨーロッパに対する一種の拒絶感がなくなっていたのかもしれません
この調子、この調子・・・
ホッローケー村
ホッローケーはハンガリーのノーグラード県にある村。「ハンガリーで最も美しい村」とも評される伝統的な村落が保たれていることから、古民家の建ち並ぶ中心的な通りが1987年にユネスコの世界遺産に登録された。
ホッローケー村
日本にいる時からここには行きたいと思ってた場所
車があれば2時間と少しで着く距離なのに、電車2回にバス1回の乗り換えとなかなか面倒なアクセス
それでもブダペストの駅から数十分離れただけで車窓からの眺めはすぐ田舎の景色へと変わっていきました
まだポーランドとハンガリーの二ヶ国しか今回はヨーロッパにいないのにどうやら私は少し疲れているみたい
こういう田舎がずっと続けば全然ストレスフリーなんだけどな
最後の乗り換えのバスでホッローケー村へ向かう途中、一面に広がるひまわり畑を見た
その景色がすごく綺麗でバスが停まってくれたらいいのに、と思いながらその景色を横目にバスは通り過ぎていきました
そうしてバスはようやく村に到着、さっそく色とりどりのきれいな花が咲いている敷地内に入ってみます
広かったので何かの施設かと思っていたら完全に誰かの家の敷地内だった
まずい、人の家の庭に勝手に入ってしまった、と慌てて出ていこうとしたけれど、おうちの人は「写真撮っていいよ」と言ってくれたり、お茶を運んでくれたり、「家の中にも入って」と自宅の中まで招き入れてくれました、なんともありがたい
こういうのは田舎ならではの出会いですね
その彼女は「私はドイツ人だよ、結婚してハンガリーに住んでるよ」と話してくれた
リビングには家族写真がたくさん飾られていて私が写真を見ていると、「この赤ちゃんは私の妹、(多分)もう亡くなってしまったけど」とボディーランゲージ混ざりに言ってくれました
彼女を見て思ったのがほとんど英語を話せなかったけど、たどたどしいながらも一生懸命伝えようとしてくれたこと
最近の私はどうも通じないならいいや、と思ってコミュニケーションを取ることを少し面倒になっていたと思う
でも彼女を見てなんか大切なことに気付かされた
今でこそ簡単な英語に苦労することはなくなってきてはいるけど、彼女みたいに伝えようと必死になっているか?と言われたら違うと思う
ふとした出会いだったのに強く響いたものがありました、どうもありがとう
さて、そんな出会いからスタートしたホッローケー村での散策は奥に進むとさっそくわけのわからない森林まで入ってしまって、違う道から引き返すと古民家らしき家屋が建ち並ぶストリートを発見
これが見たかった景色だ、田舎のヨーロッパさが漂う場所で、可愛らしい
世界遺産の村とは思えないくらい静かで観光客もほとんどいない、というか興味を持たれてない場所ともいえるかもしれない
近くにはハイキングコースのような自然もあってそこには欧米人の家族連れが歩いていたりとそれでも人はまばらな様子
平和だなぁ、こういう田舎の村、やっぱり好きです
【ポーランド】圧倒される欧州① -寄り道ラトビア-
前回からのつづき・・・
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シルクロード・中央アジアの旅はウズベキスタンで終わり、首都タシケント空港まで行きました
これから始まるヨーロッパに緊張しつつ、タシケント空港が小さすぎてまずそこに驚いているところ
日本の地方にある空港と同じくらいで、本当にここから国際線が飛ぶのか不思議なくらい
それはそうと今回の移動はウズベキスタン・タシケント▶︎ラトビア・リガを経由▶︎ポーランド・ワルシャワまで行きます
ラトビアは北ヨーロッパのバルト海沿岸に位置する共和制国家。1990年にソ連から独立した。通貨はユーロ、人口は201万5千人で首都はリガである。
リガ
リガはラトビアの首都で同国最大の人口を擁する都市。「バルト海の真珠」と讃えられる美しい港町で、その旧市街はユネスコの世界文化遺産に登録されている。
リガ
アジアを発ってよく分からない国、ラトビアに到着しました
ワルシャワ行きの便に乗るまでに半日の空きができたので、せっかくだし首都のリガを歩いてみることに
空港からそこまで距離もなかったので市街地まで行けたけど、時間に注意しながら行けるところまで街を歩いてみよう
そもそもラトビアのイメージなんてひとつも持ってないけど、意外にも先進国っぽいんだなと
旧ソ連だというからもっと殺風景かと思いきや、タジキスタンのコンテナ市場とはわけが違うようで、街並みも洗練されている
これからしばらくヨーロッパの旅が始まるので綺麗めな持ち物を揃えたほうがいいかと思い、ショッピングセンターで暖かいニットを調達しました
リガに着いてから夏だというのに寒さを感じたからですね
あとはバックパックやめてキャリーバッグ買おうか?とも思ったけどそれはパス
これまでもバックパックを大事に使ってきたし先進国であろうが変わらず持とうと思います
それから外の街並みを見て、ふつうにヨーロッパだなって思ったりぶらぶらしてから空港へ戻りました、洋服も買ったし時間を有効に使えました
基本情報
国:ポーランド
期間:5日間
時期:7月
リガ▶︎ワルシャワ行きの飛行機が小さすぎてビックリ、しかも空席だらけでいろいろ心配になりましたが、無事に着陸
ワルシャワって言葉の響きがいいですね、音楽の都って感じがいかにもします
着いた瞬間、いかにもヨーロッパという感じで身だしなみに気をつけなきゃとすぐに思いました
別にワルシャワに来たかった理由はないのですが、旧市街を歩いたり名所と呼ばれる場所にも周りましたが・・・どうしたことか、そこには写真や画像で見たままの景色が目の前にただあるだけなのです
写真で見ると確かに綺麗な街並みばかりだけど、だからなに?それとまったく代わり映えしない光景がただそこにあるだけのように思いました
自分ってこんな不感症だったけ、それともヨーロッパの魅力をまだ分かっていないだけなのか
このままではまずい、と次の目的地であるクラクフまで向かいました
クラクフはポーランド南部にある都市。ポーランドで最も歴史のある都市であり、17世紀初頭にワルシャワに遷都するまではクラクフがポーランド王国の首都であった。
ワルシャワ▶︎クラクフ行きの列車で6人乗りのシートは窮屈でまったくゆとりのないスペースでした
20ドルもしなかったからそんなものかなと思いつつ、3時間ほどで街に到着
ここはワルシャワより気候が良かったし街並みもまだ魅力があるように思います
とはいっても感動といえるほどではなく淡々としたテンションで街歩きをしているといった感じ
なんだこの冷静さ、みんなは何が楽しくてヨーロッパに来るんだろうって思った
発見や奇想天外なことが起こりそうな気配はなくワクワク感に欠けている、つまらない
ただ誰かが撮ったであろう写真を私が見て、ただ現地で同じ景色が見えているだけ
スタートのポーランドでここまでそう思うのなら、これから先のヨーロッパもこんな感じが続いていくだけなんじゃないか?先が見えてるものほどつまらないものはないって分かってる
私が足りないのか?魅力に気付けない私がしょうもないのか?考えても答えが出ない
どんどん迷い込む、仕舞いにはなんでヨーロッパなんか来てしまったんだろうと少なからず後悔した
私が間違ってるのかな?素敵な地域であることには間違いないはずだけど、私には響いてこない、グッとくるものも心動かされるものにも出会えない
このままアフリカ飛んじゃう?チャリダーデビューしちゃう?とかあれこれ考えてみるけど結局まとまらず・・・
アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所はナチスドイツが第二次世界大戦中に国家を挙げて推進した人種差別によるホロコーストおよび強制労働により、最大級の犠牲者を出した強制収容所である。収容者の90%がユダヤ人(アシュケナジム)であった。
ポーランドに立ち寄ったのはアウシュビッツに行くため、ここさえ行けたらもういいやというくらいこの国に来た目的はアウシュビッツがあったからでした
クラクフの宿からバスで向かって一人、アウシュビッツまで行きました
現地に着くと個人旅行者はあまりいなくて、大半の人は家族旅行やグループでのガイドツアーの参加のようでした
想像していたよりも大きな敷地内を歩くには、大量殺害のためのガス室、脱走させないための高圧電線の柵、収容者が最初に連れてこられる専用鉄道、犠牲になった人たちの衣服、靴が山積みになった展示室などを含め4時間は掛かったと思います
100万人以上が犠牲になったとされるこの土地を歩くのは一人では正直しんどかったです
途中から精神的にも知識的にも一人じゃ不十分と思い、イギリス人の修学旅行生の後をバレない程度についていきました
世界の美しいものだけでなく負の遺産も同じように受け止めたい、少しでも知りたいと思ったので来られて本当によかったと思っています
【ウズベキスタン】引き寄せられてシルクロード⑥
前回からのつづき・・・
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ブハラでの滞在を終えてウズベキスタンでのお目当てサマルカンドに向かいます
ブハラ▶︎サマルカンドまでは列車でわずか3時間ほど、暑さにやられて爆睡
サマルカンドは中央アジア、ウズベキスタンの古都。ステップ気候から地中海性気候への移行部特有の抜けるような青空とモスクのラピスラズリ色から「青の都」と呼ばれる。
3時間での移動はあっという間、列車内では寝ていたから体力を回復させて宿まで向かいました
中心部から少し離れたイルガショフ ゲストハウスは家族経営でアットホーム、広い敷地の庭があってなかなかいい宿です
今回のウズベキスタンでのハイライト的ポジション、サマルカンドのレギスタン広場の華やかさは他の街とは比べ物にならないほど堂々としていた
規模もオーラも別格なのが見てとれるし、サマルカンドの街がつくられてから2750年以上経っているらしい・・・
そんな昔から華やいだ街とは、シルクロードって本当にかっこいい
レギスタン広場を中心にしてあたりを歩くと右も左も前も後ろもすべてが美しかった
さすが青の都、サマルカンドブルーという言葉があるくらいだ
特にひときわ心を奪われたのがレギスタン広場にあるティラ・カリ・メドレセという17世紀につくられたイスラームの神学校で、もうぎっしりと金箔で施された空間になっています
ただ金箔が一面に貼ってあるだけじゃなくモチーフ、デザイン、細やかな技法にラピスラズリと豪華絢爛って以外の言葉はもう見つからない!
サマルカンドにはモスクやらメドレセやらいろいろあって識別がむずかしいけれど、ここは唯一無二でした
寄り道サマルカンド郊外
レギスタン広場を中心としたサマルカンドでの街歩きだけでも十分楽しいけれど、ここから少し離れた観光地にも足を伸ばしてみました
サマルカンド郊外で開催されている青空市場ウルグットバザールでの販売は車の部品に生活用品、食事となんでも売っている様子
ある一角で見つけたソビエト時代のフィルムカメラは眺めたあといったん去って、数十メートル歩いたところで振り返りました、手に取った瞬間好きだってなって7ドルで売り手のタジク人のおじさんから購入しました
旧ソ連のウクライナ製だと聞いて、動かなくても手元に置いておきたいと思えるほど一目惚れしたのです
ビビッとくるものってそうないから、こういう気持ちを大事にできる自分でありたいです
サマルカンド郊外にある別の場所では日本の団体が支援している?という和紙の工房、コニギルという施設まで行きました
ここはグーグルマップで調べても出てこないし街の外れにあったけど、静かで川のせせらぎが流れているところですごくよかった、記念に手紙セットを購入しておきました
久しぶりに水辺の光景を見たものだから涼しげでよかったです
そして最後、レギスタン広場から少し離れたところにあるシャーヒ・ズィンダ廟群
ここもすごい!御廟とはいえこんなブルーだらけで壮観でどこもかしこも美しいなんてアリなの、と思うほど
9世紀もかけてつくりあげたものだから、これだけ立派になるわけですね
もうサマルカンドの街は見どころに溢れていて悩ましいくらい
再・タシケント
タシケントに戻ってからも相変わらず暑いけれど、このまま外で過ごしたらぶっ倒れるんじゃないと思ったのはブハラが最高潮だった気がする
なので、タシケントに来て少し体力が回復できるわけですね
観光といえばそんなにしていないけど大きなドーム状になっているチョルスーバザールで最後の中央アジア、シルクロードをしっかり楽しみました
終わりまでウズベキスタンの青の青さは強烈だった・・・
【ウズベキスタン】引き寄せられてシルクロード⑤
前回からのつづき・・・
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以前、カシュガルで知り合った日本人からイライラさせられる国境越えと聞いていたけれど、意外にもなんてことはなくそのまま到着
基本情報
国:ウズベキスタン
ルート:⑴タシケント▶︎⑵ヒヴァ▶︎⑶ブハラ▶︎⑷サマルカンド▶︎⑸再・タシケント
期間:2週間
時期:6月, 7月
ウズベキスタンは中央アジアに位置する共和制国家。首都はタシケント。国境を最低2回越えないと海に達することができない二重内陸国のひとつである。また、ウズベキスタンの文化は多彩な民族・文化が混じり合うことで形成されてきた。現在ウズベキスタンで多数を占める民族はウズベク人である。
タシケントはウズベキスタンの首都で人口219万人と中央アジアで最大である。ウズベキスタン北東部、シルダリヤ川の支流であるチルチク川の流域に位置する歴史的なオアシス都市。
キルギスの出国前に現地通貨のキルギス・ソムからウズベク・スムに1万円分近く両替をしておいたけど、損しているらしい
闇両替だと安く済むと聞いたけどなんのことかよくわからなかった
ウズベキスタンの通貨に換金するとものすごい札の数!まるでパッと見お金持ちのようで、財布の中に収まりきらずサブバックの別ポケットにつっこんだくらいです
とは言っても日本円に換算すると大したことがないという不思議な感じ
そしてウズベキスタンでは6月の時期がいちばん暑いらしくタシケントも例外なく日差し強すぎの気温高すぎでもう参りました
ここではキルギスで知り合った日本人と合流するため、トップチャンホステルに泊まることに
といってもその日本人は次の日に出発するので半日過ごしただけで解散です
タシケントは国際都市?と言われているみたいだけど、街を歩くとそんな感じはしなかったなぁ、なんかふつうの地方の街って感じだったし、地元の女子学生から声をかけられたので外国人はめずらしがられてるのかなって印象を持った
ここでは次の街にいくため、列車のチケットを買いに駅の窓口まで向かいました
出発より2日前だというのにビジネス席しか空いてなかったみたいだけど、本当かな
実はエコノミー席も残ってるとかそんなんじゃないよね、と思いつつ早めに買っておいてよかったとなりました
ヒヴァ
ヒヴァはウズベキスタンの都市。16世紀初頭から20世紀初頭まで存在したヒヴァ・ハン国の首都であった。ブハラと並ぶ中央アジアの宗教都市であり、「聖都」の名で呼ばれる。ヒバの旧市街イチャン・カラは1990年にウズベキスタン国内で初めて世界遺産に登録された。
ヒヴァ
タシケントを19:30に発って翌13:20にウルゲンチに着き、17時間かかって到着
夜行寝台はクーラー付きで快適だったけど、少し肌寒かったくらい
目的地であるヒヴァまで行くためにウルゲンチ駅で降りる必要があります
列車の中で一緒だったウズベク人がタクシーをつかまえてくれて、5000スム($1,9)でヒヴァまで行ってもらうことに、乗客私1人なのに220円?
ウルゲンチからヒヴァまで25kmも離れてるのにそんな安くていいの?と疑ったけれど、本当に5000スムを受け取ってタクシーは去っていった・・・やっぱりいいんだ
たまにはシングルに泊まりたい、と思って予約しておいた宿はラリオパ ゲストハウス
とんでもなく暑いヒヴァで綺麗な部屋で冷房ガンガンの部屋、最高でしかない
気温が少しマシになった夕暮れからヒヴァの観光ハイライト、イチャン・カラまで歩いてみました・・・もうすごい!ずっとこれが見てみたかった、鮮やかなこの色彩しびれるわ、美しすぎる
高い城壁に細い路地から差し込む夕日、それに反射して見える通りすぎる人たち、これは特別感がありすぎる
なんとこのイチャン・カラの街、2500年前からあるんだとか
歴史が深すぎ、タイムスリップ感がとんでもない!
毎日暑くて日中は外に居られないから、早朝と夕方に主に出かけました
観光地で世界遺産なのにすれてない街並み、地域住民にすごく好感が持てた
そういえば気温40度で超えで思い出したけれど、インドは湿度でジメッジメの43度、ウズベクは乾燥地帯のカラッカラの43度、湿ってるのも不快だけどドライもきついな〜
どちらのほうがマシということもなくどちらもアウトでした
気温的に厳しいことは間違いないですが、そうも言ってられません
ウズベキスタンの1番メジャーなサマルカンドならわかるんですが、こんな小さいヒヴァの街ですでにこのオーラとは、ウズベキスタンの旅がますます盛り上がる予感大です
ブハラ
ブハラはウズベキスタンの都市でブハラ州の州都。古代より栄えたオアシス都市で、1993年には、旧市街地がユネスコの世界遺産に登録されている。人口は約23万7千人。
ブハラ
3日間ヒヴァに滞在して、ブハラに向かいます
列車では行けないらしいから乗り合いタクシーを利用して行くことに
すごい高くなるんじゃないかと思っていたけど、4人いたので1人19ドルで済みました
メンバーは知らない日本人の中年男性とフランス人女性、ウズベク人女性と私の4人です
まぁなんかまとまりのないメンバー構成ですが、砂漠地帯をそのままぐんぐん進んでいきその車が停まれば、それ以外一切風は吹いていない
とんでもなく暑くても風が吹いてくれるなら少しはマシになっていたはずだけど、その風すらもない
通常は5時間から7時間で着くとのことでしたがなぜか9時間も掛かっていました
そして日が傾いて夕方になってもまだ暑いってどういうことだ
明らかにヒヴァより気温が高い土地だと分かります
ブハラで予約しておいた部屋は安さだけが取り柄っぽい宿だけど、ローシーズンのためかドミ料金で個室を使わせてもらいました
微妙に汚くてスタッフがいまいちだったけど、冷房があるのでもういいです
ヒヴァに比べるとブハラの規模は4, 5倍ほど大きく感じるかな、とても広いし土産物もたくさんあるしいかにもひらけた観光地って印象
さすがシルクロードのオアシス都市というだけあってブルーに染まる建築物はどこをみても綺麗で細部まで美しかった
こんな酷暑の時期だから気付けたのかもしれないけど、ウズベキスタンにある建築がなぜブルーなのか分かった気がする、色彩って重要なんだね
ブハラの店には伝統工芸であるハサミや食器、スザ二と呼ばれる刺繍のアイテムなどが並んでいてどれを見ても素敵ですが、荷物を増やしたくないし買いません
それでも唯一惹かれたのはシルクのハンドメイドのじゅうたん、でも30万円越えでは旅はゲームオーバーになるのでこれも無理です
日中に外を歩けば1時間でギブアップしてしまうくらい、気温48度にも達したブハラの酷暑ですが、旧市街からながめる景色は本当にきれいだった